当鉄道ではJR化前後の国鉄型車両を中心にショーティーモデルを集めていますが、今回はJR化を待たずに消えた、大変渋い車両のご紹介です。
●EF61茶
●発売:・パート14(2005年)、・ベストリピート12(2011年)
●最近の入手難易度★★☆☆☆
もともとは、なにかのついでにメルカリから転属してきた茶色のEF60を、やすらぎ色に塗り替えるか、、、と思い、調べるうちに、これはEF60ではなくEF61であることが分かりました。
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新性能電気機関車の幕開けとなったEF60は、マンモス電機EH10に近い出力を小型のボディから発揮し、旧型電機を置き換えました。
が、貨物用に設計されたため、連続した高速運転には不向きで、ブルートレイン向けの500番代も、早い時期にその運用をEF65に譲ることになりました。
EF61は、EF60をベースに、旅客向けに歯車比変更、蒸気暖房の搭載などを行い製造された機関車で、山陽本線の電化延伸の中、1961年に18両が作られました。
その後、瀬野八越えの補機として、EF60を改造したEF61-200番代が加わります。
今回はご紹介のBトレ車両は茶色ですが、これは登場時から、直流電機が青とクリームに統一される1965年までの姿のようです。
山陽本線に限らず、普通列車は電車化が進められ、結局この機関車の増備は打ち切られました。一部ブルトレや急行列車の牽引もあったようですが、その後、貨物や荷物列車を牽引しつつ、1985年には基本番代は全廃されたようです。
この機関車が茶色で活躍していたのは1961-65年ということになりますので、東海道新幹線誕生や東京オリンピック前後のことになります。さすがに活躍の様子が想像できず、様々な記事をヒントに活躍想像写真を撮ってみます。
20系寝台特急「あさかぜ」はヘッドマーク付きで運転されたそうです。20系の帯の本数や、食堂車や座席車を含む編成、EF61のナンバーなどツッコミどころ満載ですが、この時代の20系編成などを突き詰めると深くて大変なことになりそうです。
EF58の後継機としての旅客用セッティングだったEF61ですので、東海道ブルトレ牽引を全て引き継いでも良さそうですが、現実はそうはならず、EF60-500番代登場により、数少ない任も譲ってしまったようです。
wikiなどを見ると、そのEF60-500も、低速が仇となり、後継の決定版EF65-500P型にすぐに取って代わられたと書かれています。
旅客用高速セッティング(とSG)が、EF61のそもそもの存在意義だったはずなのに、低速機ベースのEF60-500にブルトレを譲ってしまったのは、なぜなんでしょうか。。。
広島まで客車を牽いた後は、間合い運用で瀬野八の補機にも使われたそうです。
153系とは連結器を変換する控車を介して連結したり、181系とは直接連結したりしたようです。
荷物列車です。これも実体験に乏しく編成の仕方がよく分かりませんが、スニ40のような貨車っぽい形のものも含め、ごちゃまぜにつなげば良いのでしょうか?
旧客の普通列車を牽く姿です。きっと茶色のスハ43も牽いたに違いない、と思うのですが、自信が全くありません。
結局、旅客列車牽引の本来の役目はあまり出来ずに、荷物列車や貨物を牽いた、悲運の機関車のようです。
SGを吹き上げる荷物列車のイメージです。外板が薄く、SGによる腐食が早かったことも早期引退の要因だそうです。
今回EF61をきっかけに、いろいろ山陽本線のことを調べました。東の碓氷峠や板谷峠に対して、西の瀬野八越えは、補機の走行中解放など東では見られない運用があり興味深いです。
西日本の鉄道のことも勉強しようと思いました。
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